第一弾ではアメリカンフットボール部のアスレチックトレーナーと応援団バトン・チアリーダー部に所属する社会学部メディア専攻のプレー以外の立場から体育会に関わる学生の声を紹介した。
役割は違っても二人に共通していたのは「自分も体育会の一員である」という強い実感だった。
実は私自身も体育会男子ソフトボール部でマネージャーとして活動している。
中学・高校時代は吹奏楽に打ち込み運動とはほとんど無縁の学生だった。
もちろんソフトボールもマネージャーの経験もなかった。
それでも大学で体育会に関わろうと思ったのは本気で熱中できるものが欲しかったからだ。
「どうせ新しく始めるならこれまでやったことのないことに挑戦してみたい」
そんな思いからマネージャーという立場で体育会に飛び込んだ。
プレーはできない。
それでもチームの一員として活動する中で体育会との距離感や向き合い方について考えるようになった。
この後編ではマネージャーという立場から見えてきた体育会の姿について私自身の経験をもとに整理していきたい。
「支えるよりも先に部活の一員だった」
男子ソフトボール部マネージャー

| 所属(役割) | 男子ソフトボール部(マネージャー) |
| 学部・専攻・学年 | 社会・メディア・3回生 |
私は体育会男子ソフトボール部にマネージャーとして所属し、練習サポートや部の運営を主に担っている。
マネージャーという立場は、よく「支えるポジション」と表現される。
もちろんその側面はある。
けれど、私自身はそれ以上に「部活の一員である」という感覚を強く持っている。
プレーはできない。
それでも、体育会全体の研修会に参加したり、主務などの役職を任されたりする中で、自分が組織の一部として扱われていると実感する場面は多かった。
試合や練習だけでなく、部全体をどう運営していくかを考える時間も、確かに体育会の活動の一部だった。
一方で、「外側」に立たされる瞬間もある。
試合では、スタッフの人数制限によってマネージャーがベンチに入れないことがある。
特に人数の少ない私の部活では、マネージャーだけがベンチ外になることも珍しくない。
チームの一員でありながら、物理的には輪の外に立つ。
その距離感に、少しだけ複雑な気持ちになることもあった。
マネージャーの仕事は、どうしても見えにくい。
みんなの見えないところで準備をし、記録を残し、先の試合につながる作業を積み重ねる。
頑張りがその場で評価されることは少なく、可視化されにくい役割だ。
それでも、この立場でなければ担えない部分があると感じている。
「プレーしていなくても、勝ち負けは自分ごとだった」
試合の日、私はベンチのすぐ近くでカメラを構えることがある。
接戦を制した瞬間には、思わず涙が出てしまうこともある。
それくらい、勝敗は自分にとっても切実なものだった。
負けた試合は、やはり悔しい。
特にトーナメント戦のように、一度の負けで終わってしまう大会では、その悔しさはより大きくなる。
選手たちがどれだけ練習していたか目の前で見ていたからこそ涙が出ることもある。
ただ同時に、「自分はプレーしていないのに、こんなに悔しがっていいのだろうか」と考えてしまうこともあった。
選手の方が何倍も悔しいはずだ。
そう思うからこそ、感情を表に出しすぎないよう、なるべくいつも通りを心がけてきた。
(いつも通りに見えていたのか自信はないが、、)
それでも、勝ちたいという気持ちは、チームに対するものだった。
自分を含めた「チーム」全体が報われてほしい。
そう思っていたからこそ、勝敗は他人事にはならなかった。
正直に言えば、マネージャーがいなくても試合はできる。
その場しのぎであれば、プレーは成立するかもしれない。
しかしながら試合の記録を残し、次に繋げて長期的にチームを見ていく役割は、誰かが担わなければならない。
そこに、自分が貢献できる余地があると感じている。
「体育会に向いている人とは、どんな人か」
体育会に向いている人と聞くと、運動が得意な人や、競技経験が豊富な人が連想される。
私自身も、以前はそう考えていた。
しかし、マネージャーとして活動する中で、その考えは少しずつ変わっていった。
体育会に必要なのは、プレーの上手さだけではない。
記録を残す人、準備を整える人、声をかける人。
それぞれが自分の立場でチームに向き合い続けることで、体育会は成り立っている。
トレーナーは専門的な知識で選手の身体を支え、
チアはスタンドからチームを後押しする。
そしてマネージャーは、表には出にくい部分を担いながら、チームを長期的に支えていく。
役割は違っても、「チームのために何ができるか」を考え続けている点では、共通している。
だから今は、体育会に向いている人とは
「運動ができる人」ではなく、「スポーツが好きで、自分なりの関わり方を見つけられる人」
ではないかと思っている。
見る、支える、応援する。関わり方は一つではない。
見えてきた体育会の多様性
前編で紹介したトレーナーやチア、そしてマネージャーという立場を通して、体育会には「もう一つの現場」が確かに存在していることが見えてきた。
そこでは、プレーの有無に関わらず、それぞれが本気でチームと向き合っている。
体育会は、限られた人だけの特別な場所ではない。
思っている以上に、多様な関わり方を受け入れる場所だと思う。
自分にできることは何か、自分はどんな形で関われるのか。
そう考えながら一歩踏み出すこと自体が、体育会に関わる第一歩なのかもしれない。
もし今、何かに挑戦してみたいけれど迷っている人がいたら、部活に限らず、どんな形でもいいから「やってみる」ことを選んでほしい。
「今日より少しだけ明日を頑張ってみよう」
「何かやってみようかな」
この文章が、そんな小さな勇気につながれば嬉しい。
