「体育会と聞いて思い浮かべるのは誰ですか」
「体育会」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、
試合でプレーする選手の姿ではないだろうか。
全力で競技に打ち込み、勝利を目指すプレイヤー。
しかし実際の体育会は、プレイヤーだけで成り立っているわけではない。
マネージャーやトレーナー、応援団など、プレー以外の形でチームを支える学生の存在によって支えられている現場も数多くある。
本企画では、そうした「プレーしない体育会学生」に焦点を当て、体育会という場の、もう一つの姿を見つめ直したい。
運動経験の有無に関わらず、それぞれの立場で本気になれる場所としての体育会。 その実像を、二人の学生への取材を通して伝えていく。
「プレイヤーのそばで支える存在」
アメリカンフットボール部 アスレチックトレーナー

| 所属(役割) | アメリカンフットボール部 (アスレチックトレーナー) |
| 学部・専攻・学年 | 社会・メディア・3回生 |
彼女はアメリカンフットボール部でアスレチックトレーナー(AT)として活動している。
ATは選手のテーピングやリハビリを通じて怪我のケアをしたり、負傷者を出さないための取り組みをする役割を担う。
彼女は、いわゆる「プレイヤー」ではない。
それでも、体育会の現場に身を置く理由は明確だ。
「本気で何かに取り組みたかった」
大学生活を通して、全力で打ち込める場所を求めた先に、体育会という選択肢があった。
大学以前に所属していた部活は、吹奏楽。競技スポーツとは異なる分野である。
本人も、過去の経験が今の立場に大きく影響しているわけではないと語る。
それでも、体育会に飛び込むことに迷いはなかった。
忙しくてしんどいが、その分やりがいがある。
入部前に抱いていたそんなイメージは、今も大きく変わっていない。
ただ一つ違うのは、
「思っていた以上にやりがいを感じている」
という実感だ。
トレーナーという選択
彼女がマネージャーではなくトレーナーという立場を選んだのは、選手と直接関わり、支えている実感を得られると感じたからだ。
日々の活動は、テーピングや身体のケア、リハビリ対応など多岐にわたる。
中でも強く責任を感じるのは、負傷者を出さないための取り組みを考える瞬間だという。
選手の身体を預かる立場として、その判断一つひとつがチームの結果に直結する。
意外にも、選手と近い立場だからこその難しさは、あまり感じていないと話す。
お互いが快適に過ごすために、改善点や理想を率直に伝え合える関係性が築けているからだ。
そうした日々の積み重ねの中で、彼女は自分を体育会の一員として強く意識するようになった。
試合で連盟関係者と関わるときや、体育会の行事に参加するとき、その実感はより明確になる。
「トレーナーがいなかったら、怪我の再発が増えて、復帰にも時間がかかると思う」
その言葉からは、自身の役割に対する自覚がうかがえる。
勝敗に直結する場面で表に出ることは少ないが、チームの土台を支える存在であることに変わりはない。
体育会と聞くと、どうしてもプレイヤーに目が向きがちだ。
しかし彼女自身、「体育会=プレイヤー」というイメージは間違っていないとしながらも、その前提のもとで、支える側の役割があることを自然に受け止めている。
「本気で何かに取り組みたい人、大学生活を何かに尽くしたい人は、体育会に入るべき」
その言葉は、競技経験の有無に関わらず、体育会が開かれた場であることを示している。
「応援はもう一つの競技」
応援団バトン・チアリーダー部

| 所属(役割) | 応援団バトン・チアリーダー部 |
| 学部・専攻・学年 | 社会・メディア・3回生 |
彼女は関西大学応援団バトン・チアリーダー部で活動している。
名前の通り、応援団としてもバトンチアリーダー(いわゆる競技チア)の二つの側面がある。
「最後の学生生活で、何かに全力を注ぎたかった」
その思いから、彼女は体育会の一員となる道を選んだ。
これまでのスポーツ経験はテニスやダンス、水泳、バスケットボールなど多岐にわたる。
こうした経験は、今の立場を選んだことにも影響しているという。
「身体を動かすこと」「仲間と息を合わせること」その積み重ねが、チアへの自然なつながりを生んでいた。
体育会に入ってみて
入部前、体育会に対して抱いていたイメージは「すごい団体」
実際にその中に身を置いてみると、抽象的なイメージはより具体的なものへと変わった。
「みんな同じ気持ちで、それぞれ違った目標に向かって全力で取り組んでいる」
その姿に、むしろ自分自身が背中を押されていると感じるようになったという。
普段の活動は、さまざまな体育会の応援や依頼行事への参加など幅広い。
応援団バトン・チアリーダー部の活動には、応援だけでなく競技としての側面もある。
技の完成度や全体の統一感が求められ、誰か一人でも違う気持ちでいると、すぐに崩れてしまうという難しさがあるという。
だからこそ、技が決まった瞬間には大きな達成感がある。
応援団としての活動
それでも彼女がチアの活動の中で最も大きな比重を置いていると感じるのは応援だ。
選手と一緒になって関西大学のスタンドを作り上げる瞬間に、強いつながりを感じるという。
勝敗によって多少気持ちが左右されることはあっても全力で戦う選手の姿を前にするとどんな結果でも「お疲れ様、次も応援したい」という気持ちが自然と湧いてくる。
もちろん、楽なことばかりではない。
怪我をして思うように動けないときや、依頼行事が重なり忙しさが続くときには、しんどさを感じることもある。
それでも活動を続けられる理由は明確だ。
応援を見に来た人が笑顔で帰る瞬間や「ありがとう」「頑張ってね」と声をかけられる瞬間があるからだ。
そして勝利に導けたと感じる瞬間は何にも代えがたい。
彼女の目に映る体育会は、スタメンや試合に出る選手だけで成り立つものではない。
「一人ひとりに役割があって成り立つ組織」である。
そして体育会はプレイヤーであると同時に、「関大を背負っている団体」という認識が、彼女の中にはある。
その言葉には応援団としてそして支える側としての誇りがにじんでいる。
「何かを真剣に取り組みたい人、チームの一員として頑張りたい人は、絶対に入って後悔しない」
競技と応援の両面を知る彼女の言葉は、体育会が持つ多様な関わり方を示している。
「プレイヤーだけが体育会ではない」
アメリカンフットボール部のアスレチックトレーナー、そして応援団バトン・チアリーダー部。
立場も役割も異なる二人の話から見えてきたのは、体育会は決してプレイヤーだけで成り立っているわけではないという事実だった。
選手の身体を支え、怪我を未然に防ぐトレーナー。
勝敗に関わらず、全力で選手と向き合い、スタンドを一つにするチア。
そこには共通して、「勝利」や「チームのために何ができるか」を考え続ける姿があった。
体育会は、表に立つ人だけで構成されている組織ではない。
それぞれが自分の役割を担い、互いを支え合うことで初めて成立している。
今回の取材を通して、体育会には確かに「もう一つの現場」が存在していた。
では、自分自身はどうだろうか
実は私自身も体育会の一員である。
しかしながらプレイヤーではない。
しかし、これまで紹介してきたトレーナーやチアと同じように、「支える側」として体育会に関わっている一人でもある。
後編では、マネージャーという立場から見た体育会について、自分自身の経験をもとに考えていきたい。
運動経験がなくても体育会に関われるのか。
体育会に向いている人とは、どんな人なのか。
「もう一つの体育会」は、 実はとても身近なところにあるのかもしれない。
